赤西的個人solo曲不少,這首「CARE」作為赤西仁的solo曲更是耳熟能詳,對其本人而言,似乎也是赤西相當滿意(亦或非常喜歡)的作品。赤西在談到這首歌的表情蠻另人深思的,有種一言難盡的隱忍,細看「CARE」的歌詞意境或許正是赤西的內心寫照。
關於「CARE」,有個地方在此容我解釋一下。這首歌一開始的名字的確是叫「I KNOW」沒有錯,當時台灣的東風頻道在介紹該曲,字幕上打的就是「I KNOW」,「CARE」是後來的正式名稱,並沿用至今。
「CARE」的歌詞在很多地方和龜梨的「絆」有點互相呼應,無論是巧合也好、另有含意也好,無須做過多的聯想,不要讓節外之事掩蓋了這首歌曲的音樂性。「CARE」在初聽之時並非很討喜,得耐著性子琢磨一下,嚴格來講是比「紫」反覆耐聽,也來的有韻味一點。
我最喜歡「CARE」裡「● ● - -」的鼓聲節奏,很有復古的味道。
當年在DB上,前半段是赤西自彈自唱,候半段替他合音的是小亮,之後小亮曾經在con上翻唱過這首歌。小亮的聲音雖然和赤西大大不同,但是AR兩人在歌曲詮釋的方式上有異曲同工之妙,小亮非常適合唱赤西的歌,可惜這個小亮唱「CARE」的音頻非常難找,不過還是被我給找到了!嘿嘿!(07/10/26新增)
赤西幾次在DB外的場合表演過「CARE」,大約在兩分11秒,是原本小亮合音出現的時間點,小亮合音的那一句「つないだ手ほどけないのに」 (從綠色部分開始),在赤西單獨表演的時候,似乎有用類似變聲器的處理手法帶過,或者是直接把小亮的合音收進編曲。
個人因素下,非常喜歡小亮那句「..........ほどけないのに」;整首歌詞裡,現在的我只能體會「不器用な愛背負い ( 背負笨拙的愛 )」而已吧!(笑)
以下附上試聽網址和中日文歌詞。
CARE/赤西仁 in 少俱
CARE/赤西仁 in 歌笑
CARE/ JIN & RYO in DB
CARE/RYO solo 07/05/27 in 長崎 Ⅱ部CON (07/10/26新增)
以上。
CARE
曲:松下のりよし 詞:赤西 仁
慣れないとその中で
不器用な愛背負い
時間に追われ嫌になってた曰々少し自由感じた
あと何年かすれば
思い出になるだから
忘れかけてた記憶と今をふと重ねてみたんだ
大切な物抱え過ぎて步きづらくなった今曰
いっだって僕等
きっとだれだって
悲しみや弱さいくつも引きつれて
誰が勝ったって
踏み出す力を
きっとそこにわ大量の
笑顏がまっている
辛くて嫌で
誰か失いかけた
そんな風に自分の方から
つないだ手ほどけないのに
例えば君が
僕ついたとしても
誰の愛だって
何度も色変える
疲れて僕に
寄り掛る曰は
どんな君でも
抱き締めるから
いっだって僕等
きっとだれだって
悲しみや弱さいくつも引きつれて
誰が勝ったって
踏み出す力を
きっとそこにわ大量の
笑顏がまっている
辛くて嫌で
誰か失いかけた
そんな風に自分の方から
つないだ手ほどけないのに
例えば君が
僕ついたとしても
誰の愛だって
何度も色変える
疲れて僕に
寄り掛る曰は
どんな君でも
抱き締めるから
自分を信じて。。。
在親暱和謊言之中 背負著笨拙的愛
時間流逝 在所剩不多的曰子裡
稍微感受自由
因為幾年以後的回憶
是在忘記了當下之後 偶然試著重疊而成的
擁抱著重要的東西 艱難的走到了今天
無論是誰在什麼時候
我們的悲傷和懦弱都相互牽引
就算向前邁進的力量崩潰了
一定也會有和淚水相同份量的笑容在那裡等待著
每天都要失去一些東西
那樣 從那樣的自己
像解不開牽起了的手一般
假如你 即使受了傷
無論面對誰的愛 幾度改變了色彩
累就依靠我的曰子
無論怎樣的你 都將被擁抱
相信自己
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